Googleの検索ボックスに「うんともすんとも」と入力すると、予測の一覧に
「うんともすんとも すん」が出て来る
たくさんの人が同じことを疑問に思って調べたのがわかる
「『うんともすんとも』の『すん』ってなんだよ」
これは既に数多の議論がなされてきた、枯れた話題だと思う
なのでこの疑問の答えがなんなのかという話をする気は特にないのですが
「『すん』がよくわからんと言うのなら、『うん』の方も同じくらいよくわからんのでは?」
という話は記しておいた方がよい気がする
あまりにも一般的な既存の言葉、「承諾の『うん』」が存在してしまったがために
「すん」の方ばかり疑問視される、という現象がそこに発生しているように見える
しかし例えば「うんともすんとも言わない」は、反応のないもの全般に使える言葉だ
機械だろうが岩だろうが、そもそも承諾の意志など持ち合わせていないものたちにも
普通に適用されている
この「うん」は本当に「承諾の『うん』」なのだろうか
擬人化が起きていて、機械が「うん」と言ってる感覚なのか……?
うーん……
……うん?
「うーん」の「うん」なのか?いや、「うん?」の「うん」か?
いろいろ考えられますが、とりあえず
「うんともすんとも」の「うん」が果たしてあの馴染み深き「承諾の『うん』」
日頃使っている「うん」と同一であるかどうか
これがとても怪しいことだけはわかる
よしんば同一であるとしても、ぜんぜん自明な話ではない
「うん」の方もなかなかよくわからん代物なのではないだろうか
ただ「普段からすごくよく使っている文字列だから」というだけの理由で「うん」の方は素通りされ
「うんともすんとも……『すん』……?」
と、「すん」の方ばかりが人々を引っかけ続けている
「うん」も「すん」もよくわからん度は大差ないのに、人々は「すん」の方に集まっていく
Googleの検索予測に「うんともすんとも うん」は出てこない
「『すん』って何?」という話の中身よりも
その背後で暗躍している存在のことがどうにも気にかかる
人々に「うん」を素通りさせ、「すん」へと導いていく、そんな力を湛えた、隠れた存在のことが
「うん」とか「すん」とかの議論を始める以前の段階で、両者の間に無意識に強い偏りが発生している
「『うん』の方はまあ別に追求しなくてもいいよね感」が勝手に人々に共有されている
誰が望んだわけでもなく、そういう現象が自然発生しているのだ。それがおもしろい
確かに何かがそこに居るのを感じる
「うんともすんとも」の後ろに隠れている、強い力を持った何かが
きっと他の言葉にも同じように隠れているのだろう
そしてこの文章にも
みんな自由に考えていながら、思考の分布は均一にならない
無限の表現力がありながら、言葉には強い指向性があらわれる
束縛するものはどこにもないのに、心は弄ばれている
辿り着いたのではなく、ただ運ばれただけなのだという気がしてくる
思い思いに泳いできたつもりが、みんな「すん」という島へ流れ着いていく
結論とは、人がそれを導くものではなく、人がそこへ導かれるものなのではないだろうか
人の意志が言葉を操っているというよりは、言葉が人の意志を操っている
その方がしっくりくるものがある
私が言葉を書いているのではなく、言葉が私に書かせている
この文章は、そういう結論へと導かれている
隠れた存在の力で
「うんともすんとも すん」が出て来る
たくさんの人が同じことを疑問に思って調べたのがわかる
「『うんともすんとも』の『すん』ってなんだよ」
これは既に数多の議論がなされてきた、枯れた話題だと思う
なのでこの疑問の答えがなんなのかという話をする気は特にないのですが
「『すん』がよくわからんと言うのなら、『うん』の方も同じくらいよくわからんのでは?」
という話は記しておいた方がよい気がする
あまりにも一般的な既存の言葉、「承諾の『うん』」が存在してしまったがために
「すん」の方ばかり疑問視される、という現象がそこに発生しているように見える
しかし例えば「うんともすんとも言わない」は、反応のないもの全般に使える言葉だ
機械だろうが岩だろうが、そもそも承諾の意志など持ち合わせていないものたちにも
普通に適用されている
この「うん」は本当に「承諾の『うん』」なのだろうか
擬人化が起きていて、機械が「うん」と言ってる感覚なのか……?
うーん……
……うん?
「うーん」の「うん」なのか?いや、「うん?」の「うん」か?
いろいろ考えられますが、とりあえず
「うんともすんとも」の「うん」が果たしてあの馴染み深き「承諾の『うん』」
日頃使っている「うん」と同一であるかどうか
これがとても怪しいことだけはわかる
よしんば同一であるとしても、ぜんぜん自明な話ではない
「うん」の方もなかなかよくわからん代物なのではないだろうか
ただ「普段からすごくよく使っている文字列だから」というだけの理由で「うん」の方は素通りされ
「うんともすんとも……『すん』……?」
と、「すん」の方ばかりが人々を引っかけ続けている
「うん」も「すん」もよくわからん度は大差ないのに、人々は「すん」の方に集まっていく
Googleの検索予測に「うんともすんとも うん」は出てこない
「『すん』って何?」という話の中身よりも
その背後で暗躍している存在のことがどうにも気にかかる
人々に「うん」を素通りさせ、「すん」へと導いていく、そんな力を湛えた、隠れた存在のことが
「うん」とか「すん」とかの議論を始める以前の段階で、両者の間に無意識に強い偏りが発生している
「『うん』の方はまあ別に追求しなくてもいいよね感」が勝手に人々に共有されている
誰が望んだわけでもなく、そういう現象が自然発生しているのだ。それがおもしろい
確かに何かがそこに居るのを感じる
「うんともすんとも」の後ろに隠れている、強い力を持った何かが
きっと他の言葉にも同じように隠れているのだろう
そしてこの文章にも
みんな自由に考えていながら、思考の分布は均一にならない
無限の表現力がありながら、言葉には強い指向性があらわれる
束縛するものはどこにもないのに、心は弄ばれている
辿り着いたのではなく、ただ運ばれただけなのだという気がしてくる
思い思いに泳いできたつもりが、みんな「すん」という島へ流れ着いていく
結論とは、人がそれを導くものではなく、人がそこへ導かれるものなのではないだろうか
人の意志が言葉を操っているというよりは、言葉が人の意志を操っている
その方がしっくりくるものがある
私が言葉を書いているのではなく、言葉が私に書かせている
この文章は、そういう結論へと導かれている
隠れた存在の力で