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まんじゅうこわい

「いらない物リスト」というリストをつくった


いらない物リスト





ECサイトのAmazonには「ほしい物リスト」というサービスがある
サイト上で販売されている商品からほしい物をリストアップし、それを公開しておくと
第三者がそこから商品を購入し、リストの作成者に贈ることができるという仕組みだ
例えば友達や恋人が「ほしい物リスト」を公開していれば
そこから商品を選んで購入し、プレゼントとして贈る、といったことができる
素敵なサービスだと思う





公開されている誰かの「ほしい物リスト」を眺めるのはおもしろい
「ほしい物リスト」には作成者の価値観がありのままに出る
まるで人生を映し出す鏡のように、ひとつのリストにひとつの世界観が宿る
雄弁なリストもあれば、寡黙なリストもある
作成者の想いを乗せて、刻一刻とその姿を変えていく


「ほしい物リスト」は、一種の物語なのだと思う
私はその物語性に「ほしい物リスト」の真価を見る





語られないもうひとつの物語がある
それが「いらない物リスト」だ


真剣に「いらない物」だけを集めたリストが必要だと思う
「まんじゅうこわい」にならないように、細心の注意を払って


「いらない物リスト」のふりをして、そこに「ほしい物」を並べるのは簡単だ
しかしそれは、とても空虚だ


偽りによって欲望を叶えたとしても、大いなる器が満たされることはない
ちっぽけな私の「ほしい」を満足させることに、たいした価値はないと思う
そんなことよりもずっと得難いものが向こうで待っている
それを殺してしまわないように、決してそこに嘘を混ぜてはいけない


一片たりとも「ほしい」という気持ちの混ざっていないリストをつくってこそ意味がある
純粋な「いらない」という想いの集合は、果たしてどんな姿をしているだろうか
その姿を、ほんとうに大切にしなければならないような気がする


そういう物語の在り方を、形にしておきたいと思う





市場と呼ばれるシステムは全て「ほしい」の力学に基づいて設計されている
そこは溢れんばかりの「ほしい」からなる大河であり
全ての商品はほしがってもらうために存在している
だから大抵のものは、「ないよりはあった方がいい」へと落ち着く
「世の中にいらないものなんてない」
そんな言葉へと流れ着く


そういう場所で「ほんとうにいらない物」を探すのはとても難しい
「いらない物リスト」をつくってみると痛感する
世界の仕組みは圧倒的に「ほしい」に有利になっている


「どちらかといえばいらない物」ならばいくらでもある
しかし、いざ「いらない物リスト」に加えようとすると迷いが生まれてしまう
なんだかんだいらなくもないような気持ちが混ざってくる


真の「いらない」とは、相手との関係を心から拒絶することなのだ
大変な決断を下すことが求められる
「今までも、そしてこれからも、紛うことなくいらない」
そのハードルを越えられる物は滅多にない


だからそこには「ほしい物」が決して持つことのない輝きが生まれる
「ほんとうにいらない物」が愛おしくなる
「ほんとうにいらない物」との出会いに憧れるようになる


自分にとってはいらないが、世の中に存在している物がある
きっと誰かがそれを必要としているのだろう
もしかしたら誰にも必要とされていないのかもしれない
少なくとも今、それは確かにそこに存在している


有り難いなあと思う
ほんとうにいらない物たちだ





「いらない物」が必要だと思う
いらないからこそ、いる


「世界でいちばんおいしい料理」と「世界でいちばんまずい料理」
どちらかひとつしか食べられないとしたら
私はまずい方を選ぶだろう
そこに選択の余地はない
その感覚を、ほんとうに大切にしなければならないような気がする


「ほしい物リスト」はいらない
「いらない物リスト」はほしい
やっぱり世界観が出ますね





「いらない物リスト」は、選りすぐりのいらない物を私に贈ることができます
ほんとうにいらない物なので、ほんとうにいらない