たまに電子機器の画面設定を弄って、グレースケールにして使うということをやる
色が抜け落ちることにより、新たな体験が生まれておもしろい
色がなくても支障がなかったり、意外なところで支障が出たりする
ほんとうは電子機器だけでなく、全視界から色情報を落としたい
不可能ではなさそうだけれど、ちょっと手軽に試すことはできない
(VRとかAR技術を使えば可能にはなっていると思う
光学的に色を無くせる眼鏡があればいちばんよいのだが)
とりあえずカラーセロハンを貼った眼鏡でもかけておけば良いのかもしれない
見慣れたものが様変わるのは楽しい
何だか転生を受けたような気持ちになる
何かできないかと思って、画面をグレースケールにした後
更に無音・字幕有の設定で色々な動画を見てみた
最新の映像でも古い映像のように見えるので不思議だ
映像の内容ではなく、質感が時代を司っているんだな、と思う
本当に古い映像のそれとは違うが、擬似的にそんな感じになる
コンテンツの外側に、時代性が宿っている
ブラウン管が古さを感じさせるようになった
液晶も古さを感じさせるようになっていくのだろう
現代のメディアがいずれ古くなるのは確かだが
未来のひとたちがどのような質感を古いなあと感じるのかはわからない
解像度とか色深度とか、そういうのとは少し違う所に映像の時代性が宿るような気もする
想像を巡らせるのは自由なので、今度は画面設定をカラーに戻し
未来のひとたちのつもりになって、古臭いなーという気持ちで4Kの映像に臨んだりした
その一方で、一周回って、古さが新しさになるということもある
最近カセットテープの音がかえって新鮮だということで、小さな再流行が起きているという話を聞いた
私はアナログ信号の砂嵐のようなビデオノイズには現代でも通用する格好良さがあると思っていて
時々見たくなる
映像でも音声でもデジタル編集でアナログテープ風の加工をする技術があるけど
そういうのは素敵な転倒だと思う
新しさは古くなり、古さは新しくなり、そうやって廻っていく
ある質感に対して過去を感じるか、未来を感じるか、ということを考えてみると
レトロゲーム機の電子音は、過去の音に聞こえると同時に、未来の音にも聞こえるように思う
「現代」という地点から遠くに居るなあ、という感覚だけがある
いつまでも手の届くことのない所に居るから、その音に惹かれる気がする
単に「今」を正しく感覚するのが難しいだけなのかもしれないが
いつでも古い質感を、いつでも新しい質感を、感じさせるようなものもあるわけです
古さと新しさが交互に循環しているのだとしても、時代性は年月とともに流れていくのが普通だ
そういう中で、輪の外に居るもの、流れから外れているものたちは尊い
過去で在り続けるもの
未来で在り続けるもの
時代の流れから外れたものたちは、格好良く「永遠」や「普遍」と呼ばれたりしますね
悪くはないんだけど、それだとちょっと世界観が垢抜けすぎていると思う
私は「取り残された」が素朴で好きです
「永遠」や「普遍」に対する憧れは特にないんだけど、「取り残された」にはとても憧れる
「置いてけぼり」の在り方が良い
ぼーっとしているとどんどん時代に流されてしまう
がんばって取り残されていかないとなあ
色が抜け落ちることにより、新たな体験が生まれておもしろい
色がなくても支障がなかったり、意外なところで支障が出たりする
ほんとうは電子機器だけでなく、全視界から色情報を落としたい
不可能ではなさそうだけれど、ちょっと手軽に試すことはできない
(VRとかAR技術を使えば可能にはなっていると思う
光学的に色を無くせる眼鏡があればいちばんよいのだが)
とりあえずカラーセロハンを貼った眼鏡でもかけておけば良いのかもしれない
見慣れたものが様変わるのは楽しい
何だか転生を受けたような気持ちになる
何かできないかと思って、画面をグレースケールにした後
更に無音・字幕有の設定で色々な動画を見てみた
最新の映像でも古い映像のように見えるので不思議だ
映像の内容ではなく、質感が時代を司っているんだな、と思う
本当に古い映像のそれとは違うが、擬似的にそんな感じになる
コンテンツの外側に、時代性が宿っている
ブラウン管が古さを感じさせるようになった
液晶も古さを感じさせるようになっていくのだろう
現代のメディアがいずれ古くなるのは確かだが
未来のひとたちがどのような質感を古いなあと感じるのかはわからない
解像度とか色深度とか、そういうのとは少し違う所に映像の時代性が宿るような気もする
想像を巡らせるのは自由なので、今度は画面設定をカラーに戻し
未来のひとたちのつもりになって、古臭いなーという気持ちで4Kの映像に臨んだりした
その一方で、一周回って、古さが新しさになるということもある
最近カセットテープの音がかえって新鮮だということで、小さな再流行が起きているという話を聞いた
私はアナログ信号の砂嵐のようなビデオノイズには現代でも通用する格好良さがあると思っていて
時々見たくなる
映像でも音声でもデジタル編集でアナログテープ風の加工をする技術があるけど
そういうのは素敵な転倒だと思う
新しさは古くなり、古さは新しくなり、そうやって廻っていく
ある質感に対して過去を感じるか、未来を感じるか、ということを考えてみると
レトロゲーム機の電子音は、過去の音に聞こえると同時に、未来の音にも聞こえるように思う
「現代」という地点から遠くに居るなあ、という感覚だけがある
いつまでも手の届くことのない所に居るから、その音に惹かれる気がする
単に「今」を正しく感覚するのが難しいだけなのかもしれないが
いつでも古い質感を、いつでも新しい質感を、感じさせるようなものもあるわけです
古さと新しさが交互に循環しているのだとしても、時代性は年月とともに流れていくのが普通だ
そういう中で、輪の外に居るもの、流れから外れているものたちは尊い
過去で在り続けるもの
未来で在り続けるもの
時代の流れから外れたものたちは、格好良く「永遠」や「普遍」と呼ばれたりしますね
悪くはないんだけど、それだとちょっと世界観が垢抜けすぎていると思う
私は「取り残された」が素朴で好きです
「永遠」や「普遍」に対する憧れは特にないんだけど、「取り残された」にはとても憧れる
「置いてけぼり」の在り方が良い
ぼーっとしているとどんどん時代に流されてしまう
がんばって取り残されていかないとなあ