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旧い自転車

新年ということで夜半過ぎに初詣に出かけた
神社に向けて、点々と街灯に照らされた人気のない道をひとりてくてくと歩いていると
自転車に乗った老人が後ろからすっと私を追い抜いていった


なんとなく「あの人も初詣に行くのだな」と思った
相手の行き先がわかるわけではないので、なんの根拠もない判断だ


自転車のどこかの部品が歪んでいるのだろう
そのとき「ぐう」とも「ぎい」とも聞こえる音が夜のしじまに響いた


「ぐう」とも「ぎい」とも聞こえる音は
「ぐう」とは聞こえない音だったし「ぎい」とも聞こえない音だった


まーた仕方のないことを書こうとしているので、オノマトペの話はやめます
老人の自転車からは、言葉にすると仕方のない音がしていた


私はその音を聞いた途端「ああ旧い自転車だな」と思い
「この音は、あの自転車にしか出せないだろう」と思った





歳月の音だ
なるほど。歳月はこういう音がする


自転車が走り去り、老人の姿が見えなくなるまでの短い間に、その音は周期的に鳴った
私は冷えた両耳を注意深くその音に傾けた


その音から、私は車輪のひとつひとつ回るのをしみじみと感じた
その音から、私は年月のひとつひとつるのをしみじみと感じた


何か走馬灯のような感覚があり
その音には人の生というものが非の打ち所のない調和で織り込まれているようなかんじがしたが
しかし同時に実際はどうでもよきことが雑然と散らかっているだけのようなかんじもするのだった





以上のようにして私は刹那に悠久を感じましたが
それは私が勝手にそう感じただけです


ぜんたいなにも起きてはいない
自転車に乗った老人が初詣に向かう私を抜き去った以上の出来事はなにもない
その自転車が旧く、さもありなんという音を出していた以上の出来事はなにもない
それだけだし、それだけである


しかし私のなんの根拠もない判断は
一連の出来事によってすっかり確信に変わった


「あの人は初詣に行く」


相変わらずなんの根拠もないが、今度は疑う余地がなかった
論理的に考えて、それ以外の可能性がなくなったのだ


「旧い自転車からさもありなんという音がしていたので、あの人は初詣に行く」


論理ですね。これぞ論理
私の論理はいいかげんです





老人の姿は見えなくなり
私は再びひとりてくてくと歩いた


歩きながら先程の自転車の音を想うと、名状しがたい感慨が襲ってくる
そして私は、なんか笑ってしまうのだった


おみくじを引く必要がなくなった
引くべきものを引いた