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おつままれ

気球と風船って、名前逆なんじゃないかとか
豆腐と納豆も、名前逆なんじゃないかとか
唐突にそんな疑問を抱いたことがあるのは
私だけではないことと存じます


本日は、そういう名前のズレの話です





気球は実際は風の船だし
風船は実際は気の球だ


豆腐は実際は納められた豆だし
納豆は実際は腐した豆だ


ものの名前にはなんでかそういうズレがしばしばあるわけで
そのうち美しく相互に対応関係を成すものについて
私は勝手に「気球風船対(ききゅうふうせんつい)」と呼んでいます
多分他にもあると思う


もちろん気球も風船も辿れば歴史が、語源があり
その名に至ったいきさつというものがあるはずなので
それぞれ逆でもなんでもない正統な名前なのだろうけれど


言葉それ自体には歴史や語源という情報が含まれていないので
名前だけ聞いたとき、ふっと感じられるそのズレに、私は惹き付けられるのです


細かいことは気にしないで
素直におかしさをおかしむのだ





組からなるものがあるなら、群からなるものもあるんじゃないかと思って
ものの名前というものをあらためて見てみると、ズレているものはやっぱり結構見つかる


ハサミはハサんでいるか
キリはキッているか
サシはサシているか
してない


ハサミは切ってるんだからキリだと思う
キリは刺してるんだからサシだと思う
サシは測ってるんだからハカリだと思う


残念ながらハカリは正しくハカっているのでそこでおしまいですが
どこかに美しいズレの大循環がありそうな気がしている
なさそうな気もしている


まあこれらは音声だけの話なので
ハサミは「鋏」と漢字で書いてしまえばそれまでです


いや、しかし、金に夾というのも如何か
金に刀とかの方がしっくりきてたのではないだろうか


鍛冶仕事の、熱した金属を挟む道具が「鋏」なのはとても納得がいくけど
切断する方も「鋏」って呼ばれるのは、果たしてそうなのだろうか
いや、そう呼ばれてるんだから、そうなのか
あ、「剪刀」って書けばいいのか
うーむ、それで万事解決と言えるのか?


そんなふうにあれやこれやと巡らせていると、突如

挟む ≠ 切る

と全く断絶して捉えられていたものが、実は

挟む ∋ 切る

という関係性にあるのではないかと気付いたりして
世界観のパラダイムシフトが起きたりするわけです





言葉はテキトーだが
人の心もテキトーだ


名前がズレていると感じるとき
ズレているのは自分の方かもしれないのだ


彼方か、此方か
果たして





考えていると、またひとつ出会いがある


「おつまみ」は「おつままれ」ではない


なんだかとても、幽玄な気がしてくる