「甘い」とか「酸っぱい」とか「苦い」とか、味覚にはいろいろと形容の言葉がありますね
本日はそのことについて考えておりました
味覚を形容する言葉は「不味い」と「美味しい」を原理とする二元論で捉えられると思う
それが全ての源泉となる一対の陰と陽であると考えてみる
宇宙の全体が「不味い」と「美味しい」でできているならば
「甘い」や「酸っぱい」といった言葉は部分的な構成要素を司る
不味と美味の陰陽を宇宙の根本原理に据えたとき
甘酸塩苦旨の基本五味には、どこか木火土金水の五行的な雰囲気が漂う
味覚は、陰陽五行説の世界観になる
陰陽五行説というのはまあ気のせいかもしれないけれど
部分的な味覚の組み合わせが全体を構成し、調和することで
「不味い」や「美味しい」からなる宇宙を構成している
という考え方自体はそんなに間違ってないと思う
「部分」と「全体」
この宇宙観において、ひとつ気にかかることがある
それは五行のうち最も新しい「旨」なる味、「うま味」の存在だ
この「うま味」こそが、本日の主役である
近年、「うま味」は発見された
私には、何か直観的な違和感があった
新たな味覚の発見、それ自体は喜ばしいことだと思う
「うま味」を司る物質が存在し、その受容体が人の感覚器官に備わっているのも確かである
しかし「その味覚を『うま味』と名付けてしまったこと」
その点に名状しがたい引っかかりがあった
「旨」を除いて、「甘」「酸」「塩」「苦」の四味は、陰陽から独立している
「甘い」や「酸っぱい」という表現が、直接「不味い」や「美味しい」を意味することはない
それらはあくまで構成要素なのであって
それらが互いにバランスすることで「不味い」や「美味しい」が形作られる
部分と全体はしっかりと弁別が保たれていたのだ
だから「うま味」がまだ誰にも知られていなかった時代、そこには完璧なひとつの宇宙の姿があった
しかし「うま味」は明らかに他と趣を異にしている
自らをして「美味い」を名乗っているのだ
それは既存の言葉とは、あまりに一線を画している
それは部分と全体の同化を予感させる
それは宇宙の崩壊を暗示している
「うま味」という名をひっさげて
「うま味」はこれまでの世界観に真正面から挑戦を仕掛けているのだ
驚くべき言選りだと思う
「うま味」がどれほど驚くべき言選りであるかは
次のような例を考えてみればよくわかる
「料理に砂糖を加えると『甘い』になるが、更に大量の砂糖を加えると『甘すぎる』になる」
「料理に塩を加えると『塩辛い』になるが、更に大量の塩を加えると『塩辛すぎる』になる」
以上のような論理に疑問の余地はないだろう。「酸っぱい」にも「苦い」にも、同様のことが成り立つ
したがって私たちは、次のような帰結を得る
「料理に味の素を加えると『うまい』になるが、更に大量の味の素を加えると『うますぎる』になる」
そこに疑問の余地があってはならない
ゆえに私は戦慄を覚えている
「うま味」という言葉がいかに既存の世界観を超えているかがほんとうによくわかる
言霊は今、宇宙をその支配下においたのだ。部分は全体を凌駕しようとしている
全ては「うま味」というその名に起因して
果たしてうま味は「うま味」でよかったのだろうか、そう顧みざるを得ない
しかし他にどうすればよかったのかと考えてみると、それもまた難しい話ではある
私は「香味」とか「効味」とかにしておけば、まだ影響は抑えられたのではないかと思う
それらが最善であるとは決して言わないが、「うま味」はあまりにも危うい
「うま味」を名乗ってしまった以上うまくないはずがない
うまくないはずがなければならない
「料理に味の素を加えると『うまい』になるが、更に大量の味の素を加えると『うますぎる』になる」
私は理論を述べた。だがその実証は行っていない
その意味で私の「うま味」に対する危機感は空論に過ぎないが、それで良いと思っている
幸いにして、私はこれまで料理に味の素を入れすぎたことがない
偶々、真実を謎のままに保つことができていたのだ
真実を明らかにしてはならないと思う
例えば一人前の炒め物に味の素を1kgくらい入れてみたとして
果たしてそれはほんとうに「うますぎる」になるのだろうか
もしそうなるとしたら、いよいよおそろしい結末を迎えることになる
それは「うま味」と「美味」が同一であることを証明してしまうのだ
もしそうならないとしたら、いよいよおそろしい結末を迎えることになる
それは「うま味」と「不味」が同一であることを証明してしまうのだ
いずれにせよ同じ結末を迎えることになる
審判の時を経てしまったら、後は終末が訪れるのみである
そこでは「うまい」も「美味しい」も「不味い」も一体となるのだ
人々はもはや「味がある」としか言わなくなるだろう
だから「うま味」の真実を明らかにするのは禁忌なのだ
どんな形であれその結果を観測することは、宇宙の崩壊に繋がる
私にはそんなあぶない真似はできない
ああ、どうか憐れみたまえ
汝、味の素を入れすぎることなかれ
本日はそのことについて考えておりました
味覚を形容する言葉は「不味い」と「美味しい」を原理とする二元論で捉えられると思う
それが全ての源泉となる一対の陰と陽であると考えてみる
宇宙の全体が「不味い」と「美味しい」でできているならば
「甘い」や「酸っぱい」といった言葉は部分的な構成要素を司る
不味と美味の陰陽を宇宙の根本原理に据えたとき
甘酸塩苦旨の基本五味には、どこか木火土金水の五行的な雰囲気が漂う
味覚は、陰陽五行説の世界観になる
陰陽五行説というのはまあ気のせいかもしれないけれど
部分的な味覚の組み合わせが全体を構成し、調和することで
「不味い」や「美味しい」からなる宇宙を構成している
という考え方自体はそんなに間違ってないと思う
「部分」と「全体」
この宇宙観において、ひとつ気にかかることがある
それは五行のうち最も新しい「旨」なる味、「うま味」の存在だ
この「うま味」こそが、本日の主役である
近年、「うま味」は発見された
私には、何か直観的な違和感があった
新たな味覚の発見、それ自体は喜ばしいことだと思う
「うま味」を司る物質が存在し、その受容体が人の感覚器官に備わっているのも確かである
しかし「その味覚を『うま味』と名付けてしまったこと」
その点に名状しがたい引っかかりがあった
「旨」を除いて、「甘」「酸」「塩」「苦」の四味は、陰陽から独立している
「甘い」や「酸っぱい」という表現が、直接「不味い」や「美味しい」を意味することはない
それらはあくまで構成要素なのであって
それらが互いにバランスすることで「不味い」や「美味しい」が形作られる
部分と全体はしっかりと弁別が保たれていたのだ
だから「うま味」がまだ誰にも知られていなかった時代、そこには完璧なひとつの宇宙の姿があった
しかし「うま味」は明らかに他と趣を異にしている
自らをして「美味い」を名乗っているのだ
それは既存の言葉とは、あまりに一線を画している
それは部分と全体の同化を予感させる
それは宇宙の崩壊を暗示している
「うま味」という名をひっさげて
「うま味」はこれまでの世界観に真正面から挑戦を仕掛けているのだ
驚くべき言選りだと思う
「うま味」がどれほど驚くべき言選りであるかは
次のような例を考えてみればよくわかる
「料理に砂糖を加えると『甘い』になるが、更に大量の砂糖を加えると『甘すぎる』になる」
「料理に塩を加えると『塩辛い』になるが、更に大量の塩を加えると『塩辛すぎる』になる」
以上のような論理に疑問の余地はないだろう。「酸っぱい」にも「苦い」にも、同様のことが成り立つ
したがって私たちは、次のような帰結を得る
「料理に味の素を加えると『うまい』になるが、更に大量の味の素を加えると『うますぎる』になる」
そこに疑問の余地があってはならない
ゆえに私は戦慄を覚えている
「うま味」という言葉がいかに既存の世界観を超えているかがほんとうによくわかる
言霊は今、宇宙をその支配下においたのだ。部分は全体を凌駕しようとしている
全ては「うま味」というその名に起因して
果たしてうま味は「うま味」でよかったのだろうか、そう顧みざるを得ない
しかし他にどうすればよかったのかと考えてみると、それもまた難しい話ではある
私は「香味」とか「効味」とかにしておけば、まだ影響は抑えられたのではないかと思う
それらが最善であるとは決して言わないが、「うま味」はあまりにも危うい
「うま味」を名乗ってしまった以上うまくないはずがない
うまくないはずがなければならない
「料理に味の素を加えると『うまい』になるが、更に大量の味の素を加えると『うますぎる』になる」
私は理論を述べた。だがその実証は行っていない
その意味で私の「うま味」に対する危機感は空論に過ぎないが、それで良いと思っている
幸いにして、私はこれまで料理に味の素を入れすぎたことがない
偶々、真実を謎のままに保つことができていたのだ
真実を明らかにしてはならないと思う
例えば一人前の炒め物に味の素を1kgくらい入れてみたとして
果たしてそれはほんとうに「うますぎる」になるのだろうか
もしそうなるとしたら、いよいよおそろしい結末を迎えることになる
それは「うま味」と「美味」が同一であることを証明してしまうのだ
もしそうならないとしたら、いよいよおそろしい結末を迎えることになる
それは「うま味」と「不味」が同一であることを証明してしまうのだ
いずれにせよ同じ結末を迎えることになる
審判の時を経てしまったら、後は終末が訪れるのみである
そこでは「うまい」も「美味しい」も「不味い」も一体となるのだ
人々はもはや「味がある」としか言わなくなるだろう
だから「うま味」の真実を明らかにするのは禁忌なのだ
どんな形であれその結果を観測することは、宇宙の崩壊に繋がる
私にはそんなあぶない真似はできない
ああ、どうか憐れみたまえ
汝、味の素を入れすぎることなかれ